06 耳をしきりに動かして瞬きをするイユをよそに、ダリは一歩を踏み出した。砂を踏む音が響く。残り火により構成された煙が鼻をつき、小さく咳き込んだ。それでも口元を押さえて、進むことをやめようとはしない。目的は先にあった。 家屋と呼ぶにはみすぼらしい、古ぼけた住宅。屋根は藁で出来ていたのだろうか、その頂きは妖狼により破壊されてしまい大きな穴が開いている。開き戸も壊されたのか、力ずくでこじ開けられてしまったのか否か、家内に木屑と化して散らばっていた。 立ち止まり、小さく目を閉じる。気休めにもならないこの行いが何を意味するのかは、語らずともお分かりだろう。 すっと目を開ける。そして瞳を伏せて、中に足を踏み入れた。 「……酷い有り様だな」 あと少し早く来ていたら、助けられたのかもしれない。Ifのことを思っても結果は変わらないというのに、後悔ばかりが胸を突き抜ける。しかし心情とは裏腹に体はいたって冷静に動く。 ざっと目を通して、まず手をつけたのはしんと佇まっているクローゼットだった。引き戸を開けると子供用の洋服が何枚か入っている。手にとってサイズを確かめる。「英雄の少年」にはちと小さすぎるか、と心中でため息を溢した。 足しにもならないが、売れるものは売ろう。脇に衣類を抱え込んで、顔をあげる。 彼ら“黒兎”は、人々から快く思われていない存在だった。 何せ彼らは悪神である黒兎神から呪いを受け、半分は人間の体に、もう半分は黒兎神の能力を引き継いでしまったのである。そのため老いるスピードは目にとれぬもので、自己再生能力も備わっている。気味の悪い化け物だと、非難されないはずがないのだ。 そのために彼らは衣食住に困っていた。黒兎とばれたら最後、住んでいた町や村からは追い出され、最悪は命を狙われてしまう。働かねば金は手に入らない。金がなければ、着るものや食べるものが買えない。寝床や娯楽にも手がつかない。人脈もない。 そこで彼らは考えた。荒廃した土地なら、物を拝借したところでバチは当たるまいと。こうでもしないと、飢えや乾きに苦しみ続けることになってしまうのだ。いくら死なない体を持っているとはいえ、三大欲求のうちの一つ、食欲すら満たせないというのは相当にきついものがある。 食べ物や飲み水は住み処に持ち帰ろう。サイズの合う服は着よう。使えそうにないものは物好きな収集癖のある妖怪や怪物に頼み、金銭類を目当てに交換してしまえばいい。 だからダリは、もう事切れてしまった集落だったものからあるものを搾取しようとしていた。これは生きるために選んだ決断。当初は罪悪感にそれこそ気が狂いそうにもなったが、今となってはただの慣れ。どうにも思えないのである。 みんな自分が一番大切なのだ。自分が無事でなければ、明日が見えない。大切なものを守れない。やり遂げられない。だからこそ罪を重ね、されどその代償と元の人間の姿を取り戻すために善行を馬鹿の一つ覚えの如く繰り返す。後ろ指を指されようと、何も言い返せない愚か者の発想。 視線をスライドさせて、次に目をつけたのは食糧棚だった。妖狼に食い尽くされている可能性が高いのは事実だが、奴等は野菜を好んでいない。最悪肉や魚は無くとも、という気持ちでダリは手を伸ばす。 「……ん?」 視界に入ってきたのは、真新しいハムの切れ端がいくつか。それと日干しした魚と、根菜がちらほら。 「……おかしいな」 そこでダリは手を止めて、小さく唸る。知識に長けている同じ仲間内の化学者は、確かに「妖狼は全てを食い尽くす」と言っていたのだ。それなのに此処には損傷がついていない食べ物が堂々と居座っている。 否、それだけではない。目的に集中して目を通していなかったが、室内には争いが起こったような軌跡は残されていなかった。やけに小綺麗なのだ。妖狼の爪の跡も、血痕も、家具の破壊も見受けられない。 それこそ、屋根と扉だけ突き破って帰りましたとでも言わんばかりの状態に彼は面食らう。 (俺の覚え違いか……?) しかしあの化学者は念を押して、「妖狼に理性はなく粗暴で不埒だ」と何度も語りかけていたはずだった。ふつふつと沸き上がるのは、少量の不安と疑問、知り得ない状況による独特の焦燥感。 今すぐにでも問い詰めてやりたいところだが、化学者が己らの帰りを待っている住居と此処とでは距離がありすぎて、聞いている暇はなかった。仕方ないとため息を吐いて、がしがしと頭を掻く。狼狽えたり困惑したりすると頭を掻くのは、彼が黒兎に成る前から癖付いたものだ。 此処にいつまでもいる訳にはいかない、と使命感にほだされ、懐に食料を詰め込んで彼は疑念を胸にこの場を後にした。ルダとライは何か収入があったのか、また住居の状態はいかがなものなのか、を頭の片隅で気にしながら。 |